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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年11月23日) (降臨節前主日・特定29、C年)「十字架に即位する王」(ルカによる福音書23:33-43) 今日は教会暦の最後の主日です。この主日は「王なるキリストの主日」と言われます。「王なるキリスト」の主日は、1925年にローマ・カトリックにて定められたものです。1925年はヒットラー、ムッソリーニ、スターリンが独裁体制を固めていった時代です。そのような世の動きの中で、キリストこそがまことの王なのだ、と望み、今が世の終わりのように思えるかもしれないけれど、王であるキリストが再び来てくださる喜びの時こそが終わりの時なのだと、祝ったのです。今日の福音はまさに、まことの王、王なるキリストの姿が示されています。 三つの十字架の真ん中は主イエス、両脇はいずれも死刑囚です。片方の囚人は「自分と我々を救ってみろ」とののしりつつも、救いを懇願します。しかし、十字架から降りられない男がメシアであるとは信じられず、結局はあざ笑い、冒涜します。 さて、もう片側の囚人は、「あなたの御国へ行かれるときには、わたしを思い出してください」と、言うなれば十字架上のイエスに信仰告白します。 人々にしてみれば、無力にも十字架から降りてこないことこそ、イエスがメシアでも、ユダヤ人の王でもないことの証しに他なりません。しかしイエスは、十字架から降りないのです。なぜなら、王なるキリストは十字架に即位したからです。玉座ではなく、十字架に即位するとは、この世界でもっとも悲惨で、救いようのない現実を生きる人と共におられる王となるためでした。最低最悪の罪を犯した人間であっても、イエスは同じ罪人となり、その命を楽園へと招きます。すべての人の幸いを心底願い、もっとも苦しい人間をこそ、自らの命を差し出してまでも救うのが、王なるキリストです。これこそがまことの王なのです。 私たちは、十字架上のイエスをどのように見つめているでしょうか。十字架から降りられないイエスを笑うのか。それとも、十字架から降りないからこそイエスはメシアであると信じるのか。わたしたちは、どう十字架を見つめているでしょうか。 十字架上のイエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」と祈りました。これは、私たちのための祈りに他ならないと感じます。分からぬうちに、神から、イエスから、愛から離れてしまう私たちです。しかし、このイエスの祈りによって自らの十字架への眼差しを省みつつ、あらためて「王なるキリスト」を崇め、新しい暦へと歩み出したいと願います。そして備えの時である降臨節、心耕され、まことの王のご降誕を心から喜ぶことができますように。 ★主日の福音(2025年11月30日) (降臨節第1主日、A年)「光の武具を身につけて」(マタイによる福音書24:36-44) クリスチャンは、「すでに」と「いまだ」の間を生きる存在です。どういうことかというと、「すでに」イエス・キリストによる救いに与っていますが、「いまだ」イエス・キリストの再臨を待ち望んでいる、ということです。今日からの降臨節は、「すでに」救いを約束してくださった御子の誕生を祝うクリスマスと、「いまだ」訪れていない再臨の時を待ち望み、備える期節です。 必ず訪れる再臨の時は、救いの時であると私たちは「すでに」知っています。神はイエスの死と復活によって、例外なくすべての命を愛し、救うことを「すでに」明らかにしてくださったからです。再臨の時とは、その救いが完全に実現する時、イエスと私たちが顔と顔とを合わせる喜びの時です。必ずそのときが到来するのだから、それがいつ来ようとも、心配せず「今」を大事に生きるのがクリスチャンです。クリスチャンにとって「今」とは、イエスによって示された希望に照らされた「今」なのです。 パウロは、「闇の行いを脱ぎ捨てて、光の武具を身に着けましょう。」と呼びかけています。「光の武具」とはイエス・キリストのことに他なりません。そして、「光の武具を身に着け」て生きるとは、「すでに」示された「キリストの光」を身にまとい、「今」を生きるということです。闇の中では、人と人は互いに争い、ねたみ、不信と恐れの中で生きることになります。しかし、キリストの光に照らされるなら、不信と恐れは、愛すること、信頼することへと変えられます。光であるキリストのみ言葉に聴き、その光に世界が照らされることでこそ、「剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」というイザヤの預言がこの世界に実現します。そのために、私たちクリスチャンはキリストを身にまとう光の子として、愛するため、信頼するためにこの世に派遣されています。降臨節は、あらためてこの光を私たちの真中に見つめ、感じ、歩みをあらたにする時です。 「すでに」示されたキリストの光によってこそ、「いまだ」訪れない世界の実現を私たちは信じ、その実現のために今を生きることができます。この光を私たちに示してくださったキリストの誕生を祝うことができる者は、キリストの再臨を待ち望みながら今を生きることができます。「主の光の中を歩もう」というイザヤの呼びかけを聴き、主の光に照らされて、今日からの降臨節を歩みましょう。そして来たるべき時を、喜び満タンでお祝いしましょう。 ★主日の福音(履歴) B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日 → 2025年7月6日 → 2025年7月13日 → 2025年7月20日 → 2025年7月27日 → 2025年8月3日 → 2025年8月10日 → 2025年8月17日 → 2025年8月24日 → 2025年8月31日 → 2025年9月7日 → 2025年9月14日 → 2025年9月21日 → 2025年9月28日 → 2025年10月5日 → 2025年10月12日 → 2025年10月19日 → 2025年10月26日 → 2025年11月2日 → 2025年11月9日 → 2025年11月16日 → 2025年11月23日 A年(2025~2026年) → 2025年11月30日
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