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★太田信三 司祭による主日の福音 ★主日の福音(2025年6月22日) (聖霊降臨後第2主日・特定7、C年)「疎まれていた人が証人に変えられた」(ルカによる福音書8:26−39) 今日の福音に登場する「悪霊につかれた人」は、墓場に住み、裸で叫び、鎖につながれていました。その姿は、悪霊の働きが人を孤独に追いやり、他者との関係を断ち切る力であることを示しています。人々もまた彼を恐れ、遠ざけていました。 しかし、イエスはあえてその人のもとへ赴き、恐れず、軽んじることなく、彼と向き合い、言葉をかけ、解放へと導かれました。この姿に、イエスの深い憐れみと、断絶を越えて関わろうとする神の愛が現れています。イエスは、人を孤独や関係の断絶から解き放つ方です。これはまさに、イエス・キリストによる大いなる恵みです。 この出来事はまた、聖霊の働きにも目を向けさせます。聖霊は今も世界にあって、断絶された人と人の間に働き、孤独の中にいる人に慰めを、疎外された者に交わりをもたらそうとされています。癒しと解放、つながりを生む神の力が、今もなお生きて働いているのです。 癒された人は、イエスと共にいることを願いましたが、イエスは彼を遣わします。「神があなたにしてくださったことを語りなさい」。それは、「あなたにしか語れない福音がある」という信頼の言葉です。かつて疎まれた彼が、今や福音の証し人として、人と神とをつなぐ者とされたのです。 町の人々は、豚の群れの死や生活の動揺に恐れ、イエスを拒みました。その中で、癒された人が静かに自らの体験を語ることは、まさに神のなさった業を示す「生きた証し」となったのです。 私たちもまた、イエスとの出会いの中で経験した癒しや救いを通して、人と人、あるいは人と神との間に橋を架けるよう招かれています。それは、すべてが整ってから行うのではなく、自分の弱さや過去を含め、「今」の自分の歩みをもって語ることです。 証しの方法は様々にあると思いますが、その根底には、「イエスと出会ったこの私を見てください」ということがあります。その経験を証ししていくことこそが、現代において求められている宣教の一つのかたちではないでしょうか。 私たちもまた、解放された人のように、それぞれの場で証し人として立ち、神のなさったことを語り伝えていく者とされますように。聖霊の助けを求め、祈ります。 ★主日の福音(2025年6月29日) (聖霊降臨後第3主日・特定8、C年)「神のみ心か、自分の思いか」(ルカによる福音書9:51-62) これまでのガリラヤ地方中心の活動から、イエスはエルサレムへと歩みを向けます。エルサレムへの歩みとは、十字架への歩みに他なりません。その不安や恐れは計り知れません。そのとてつもない覚悟を、今日の福音では「イエスはエルサレムに向かうことを決意された。」と記しています。この「決意」という言葉は直訳すると「顔」です。神が定めたエルサレムでのその時へと、イエスは決然と顔を向けているのです。今日の福音では、イエスのこの決意と対比されるように、弟子たち、そしてイエスに従おうとする三人が登場します。 弟子の二人、ヤコブとヨハネはイエス一行を迎えることを拒んだサマリア人の村に、「主よ、お望みなら、天から火を下し、彼らを焼き滅ぼすように言いましょうか。」と言いました。サマリア人とユダヤ人は、同じルーツでありながらも、歴史の中で相容れない関係になっていました。弟子たちにとってサマリア人は、今、村に入ることを拒まれたという意味でも、歴史的背景からも「敵」だったのです。「彼らを焼き滅ぼす」とは、敵ならば滅ぼしても良い、という恐ろしい考えの表れに他なりません。しかしもっと恐ろしいのは、「主よ、お望みなら」と聞いていることです。自分たちの望みを叶えるため、天の力を使わせて殺させて欲しいと主に迫り、神にそれを認めさせようとしているのです。ここにイエスと弟子との違いが鮮明に表れます。ご受難へ向かうイエスは、ひたすら神のみ心に従い、敵とされていたサマリア人のところにも訪れ、神の支配、神の救いを宣べ伝えようとなさいました。他方、弟子たちはサマリア人の命などどうでもよい。「敵」への憎しみに囚われ、すべての人を救おうとされる神の意思などそっちのけです。残念ながらそれが弟子たちでした。 続いて、イエスに従おうとする三名が登場します。一人目は条件をつけずにイエスに従うと言います。イエスは彼に、「人の子(=主イエス)」の現実を包み隠さず教え、従う弟子も同じ境遇におかれることを伝えます。しかし、他の二人はといえば、弟子たち同様、神の意思よりも別なものにとらわれていました。そんな彼らにイエスは、自分がこれから歩むべき道にまっすぐに目を向けるように諭されました。 エルサレムへと顔を向け、徹底的に神の救いの計画に従ったイエスにならい、イエスによって示される神の国へとまっすぐに目を向ける者にこそ、神の国は開かれます。そこに信頼して歩む先にこそ、なによりも良い物が用意されています。 ★主日の福音(履歴) A年(2022~2023年) → 2022年11月27日 → 2022年12月4日 → 2022年12月11日 → 2022年12月18日 → 2022年12月25日 → 2023年1月1日 → 2023年1月8日 → 2023年1月15日 → 2023年1月22日 → 2023年1月29日 → 2023年2月5日 → 2023年2月12日 → 2023年2月19日 → 2023年2月26日 → 2023年3月5日 → 2023年3月12日 → 2023年3月19日 → 2023年3月26日 → 2023年4月2日 → 2023年4月9日 → 2023年4月16日 → 2023年4月23日 → 2023年4月30日 → 2023年5月7日 → 2023年5月14日 → 2023年5月21日 → 2023年5月28日 → 2023年6月4日 → 2023年6月11日 → 2023年6月18日 → 2023年6月25日 → 2023年7月2日 → 2023年7月9日 → 2023年7月16日 → 2023年7月23日 → 2023年7月30日 → 2023年8月6日 → 2023年8月13日 → 2023年8月20日 → 2023年8月27日 → 2023年9月3日 → 2023年9月10日 → 2023年9月17日 → 2023年9月24日 → 2023年10月1日 → 2023年10月8日 → 2023年10月15日 → 2023年10月22日 → 2023年10月29日 → 2023年11月5日 → 2023年11月12日 → 2023年11月19日 → 2023年11月26日 B年(2023~2024年) → 2023年12月3日 → 2023年12月10日 → 2023年12月17日 → 2023年12月24日 → 2023年12月31日 → 2024年1月7日 → 2024年1月14日 → 2024年1月21日 → 2024年1月28日 → 2024年2月4日 → 2024年2月11日 → 2024年2月18日 → 2024年2月25日 → 2024年3月3日 → 2024年3月10日 → 2024年3月17日 → 2024年3月24日 → 2024年3月31日 → 2024年4月7日 → 2024年4月14日 → 2024年4月21日 → 2024年4月28日 → 2024年5月5日 → 2024年5月12日 → 2024年5月19日 → 2024年5月26日 → 2024年6月2日 → 2024年6月9日 → 2024年6月16日 → 2024年6月23日 → 2024年6月30日 → 2024年7月7日 → 2024年7月14日 → 2024年7月21日 → 2024年7月28日 → 2024年8月4日 → 2024年8月11日 → 2024年8月18日 → 2024年8月25日 → 2024年9月1日 → 2024年9月8日 → 2024年9月15日 → 2024年9月22日 → 2024年9月29日 → 2024年10月6日 → 2024年10月13日 → 2024年10月20日 → 2024年10月27日 → 2024年11月3日 → 2024年11月10日 → 2024年11月17日 → 2024年11月24日 C年(2024~2025年) → 2024年12月1日 → 2024年12月8日 → 2024年12月15日 → 2024年12月22日 → 2024年12月25日 → 2024年12月29日 → 2025年1月5日 → 2025年1月12日 → 2025年1月19日 → 2025年1月26日 → 2025年2月2日 → 2025年2月9日 → 2025年2月16日 → 2025年2月23日 → 2025年3月2日 → 2025年3月9日 → 2025年3月16日 → 2025年3月23日 → 2025年3月30日 → 2025年4月6日 → 2025年4月13日 → 2025年4月20日 → 2025年4月27日 → 2025年5月4日 → 2025年5月11日 → 2025年5月18日 → 2025年5月25日 → 2025年6月1日 → 2025年6月8日 → 2025年6月15日 → 2025年6月22日 → 2025年6月29日
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